吉田寮生から、宇川の米軍基地を見に行こうと誘われて
にしきくみ(2017年京大卒、寮外生)
Twitter @zine_jibun
2021年6月下旬。吉田寮生の知人から、京都の丹後半島の先っちょにある宇川という地域に行こう、という旅行に誘ってもらった。旅行の目的は「日常を離れてぼーっとしに行くこと」と「宇川にある米軍基地を見に行くこと」。
宇川に行く前に、米軍基地について自分で調べて知れることは最低限知っておこうと思った。資料を通して、そして実際に宇川に行って、その結果考えたことについて書きたい。
≪学ぶために読んだり観たりしたもの≫
●スワロウカフェのブログや「Hello! Ukawa」通信をいくつか
●MBSのドキュメンタリー「見えない基地~京丹後・米軍レーダー計画を追う」https://www.youtube.com/watch?v=bIkKO0cHHUI&t=1620s
●「米軍基地建設を憂う宇川有志の会」のfacebookページ
●「Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会」のホームページやfacebook
●京丹後宇川の風ホームページ、永井友昭チャレンジダイアリー
考えたこと その1
「宇川に米軍基地がある」ということを考えるときに、
「宇川に米軍基地がある」という強調で捉えてたけど、
そうではなくて
「宇川に米軍基地がある」という捉え方の方が大事だと思った。
スワロウカフェの通信などを読んでいると、何度も登場するのが、宇川の生活の話、京都府で最も過疎化が進む地域の一つである宇川での生活の話。米軍基地の話だけではない。
こう書くと、自分のマジョリティとしての鈍感さが露わになって恥ずかしい。当たり前ではないか。米軍基地以前に、そこには人々の暮らしがある。米軍基地が存在しているからといって、それは変わらない。宇川の米軍基地のことを考えるとき、それはそこに住んでいる人とその生活抜きには、語ることができない。頭では分かっていても、そのことがリアリティを持ってないのがマジョリティっぽさだと思う。「米軍基地」という言葉のインパクトにひっぱられて、「宇川」という場所への想像力が乏しすぎたのだ。申し訳ないと言ってもしょうがないが、本当に申し訳ない。
アメリカ政府と日本政府が、宇川に米軍基地とXバンドレーダー(ミサイル探知のための高性能レーダー)を作りたがったのは、朝鮮半島を監視する(※)のに「都合のいい場所」だから、だけではない。やっぱり過疎地域だから、人が少ないから、という意味で「都合のいい場所」だからだと思う。
(※)朝鮮半島を敵視する日本政府に反対です。「北朝鮮」を何となく怖がる社会の雰囲気に反対です。やるべきなのは、軍事力の強化ではなく、日本による植民地支配の歴史に向き合うことです。Hello! Ukawa! の第3号のコラム(1)が参考になりました。
blog.livedoor.jp/noarmydemo/archives/44229170.html
スワロウカフェのブログ記事(2019年5月8日)がとても印象に残っている。http://blog.livedoor.jp/noarmydemo/archives/55271412.html
「御所には基地はできないからね。」
旅行に誘ってくれた知人が言ってた言葉を思い出す。
MBSのドキュメンタリーを見ていると、宇川のような場所の住民を政府が軽んじているのが分かりやすすぎて胸が苦しい。日本とアメリカ政府が勝手に基地建設を決定した2013年2月。その1か月後に防衛省が行なった住民説明会の映像がドキュメンタリー内で出てくるが、そこで防衛省側が言ったことは「Xバンドレーダーを配備する場所として経ヶ岬分屯基地が最適な場所であるという結論に達したところでございます。」だ。そもそも配備したいのではあれば、先にそこに住む人々と話し合いを行い、住民が嫌だと言えば作らないのが、誠実な対応だと思う。なのに、配備計画を「結論」として提示してくるなんて…。説明会では、住民から切実な訴えや不安が出されるのに、防衛省は原稿を棒読みで、質問内容にもちゃんと答えていない。京丹後市の市長は「国益、国益」と連呼する。国も市も住民を尊重していないことがにじみ出てくる。見てて本当につらい。(これは在日米軍基地の7割以上がある沖縄にも当てはまる話だと思う。)
宇川の生活の話に戻るが、例えば、こんなことを知った。
-2019年に宇川唯一のスーパー「にしがき宇川店」が閉店したこと
-2020年に地元の北都信金のATMが営業終了となったこと
-2021年現在、住民反対の声も大きい中、宇川小学校の閉校と統合の動きがあること
これ以外にもたくさんあるだろう。
最近は新幹線やリニアモーターカーなど、大都市をつなぐ交通の便をよくしていくことが積極的に押されているけど、そういうところにはコストをかけておいて、過疎地域の暮らしを支えるためのコストはかけたがらない。そういう視点もあるのかも、と今回初めて考えた。個人の生活にしわ寄せが行くのは、少し知れば想像できる。住民の暮らしのためにお金をかけずに、米軍基地や自衛隊ばかりにお金をかける。住民の暮らしの維持が最優先事項じゃないのが、まさに差別だと思う。
考えたこと その2
米軍基地は「できたら終わり」ではなく、
存在し続ける限り、住民の生活を侵害し続ける
宇川に行く前に、基地建設のための工事がまだ行なわれているときの情報にたくさん触れていたから、最初は「米軍基地ができることへの反対の闘い」のことで頭がいっぱいだった。その情報を数年後に読んでいた私には、基地が既にある「今」に対する想像力がすっかり欠けていて、沖縄の米軍基地の状況について学んで得ていたはずの「住民の生活は常に基地と隣り合わせ」という視点がふっ飛んでいた。
このような私のあり方は、まさに基地を作りたかった人たちの思うつぼというか、望み通りなんじゃないだろうか。基地ができるってなった時は反対されて注目されても、基地を作ってしまえば、存在が「当たり前」のものとして忘れ去られていくだろう、と。
しかし、住民にとってはそんなことは一切ない。「当たり前」というよりも「異質」なものとしてその存在を生活の中で感じ続ける。今の状況について読み進めていく中で、思い出した。
宇川の住民の生活へのいろんな影響
-レーダーが配備されると、攻撃の的になるのでは、という不安
-土地が削られる、基地の排水が海に流れるなどの環境破壊
-米軍が周辺に住み始めたことによる、交通事故などの事件事故の多発
(事件事故の情報の非公開)
-騒音被害
-レーダーの不停波によるドクターヘリの救急搬送の遅れ
-米軍関係者からのコロナ感染者の発生
宇川に住んでいない私が知らないこと、他にもたくさんあると思う。
基地は「できて終わり」じゃない。既にあるからと言って「当たり前」のものでもない。住民の生活を侵害し続ける「異質」なものだ。このことを忘れてはいけないと思う。そして、京都市内に住む私にとっては、継続的に関心を持ち続けることが必要だと思う。
最後に 自分のことを少し
私は過疎地域と一切縁がない。今まで都市部でしか生活したことがなく、現在も京都市のど真ん中に住んでいる。そんな私は過疎地域のことをどう思っているのだろうか。自分の内面を見つめると、そこには「都市部に住んでいる便利さを手放したくない。人間関係や暮らしの不安から、今と違う場所で生きていける自信がない。」という気持ちがあった。
私はまだこのような自分の内面との向き合い方が分からない。宇川のような地域のことを考えるときに、というかどのような問題でも、自分の内面にも目を向けることが大切で必要だと思う。自分が今まで暮らしてきた場所を居心地良いと感じるのは当たり前だと思いつつ、そのような個人的なレベルだけで語るには、都市部と地方の資源の格差は大きすぎるというのも分かる。
行政や国レベルで、どういう場所にコストがかけられ、どういう場所が切り捨てられているか、もっと知るように関心を持ち続ける。これからも宇川に関心を持ち続ける。こういうことはこれからもできると思う。それ以外では、どう向き合ったらいいんだろうか…。
立ち入り禁止の案内板が、まずは英語で書かれていることが印象的だった。
地権者の一人だけが、基地に 譲らなかった土地の一角。 ここだけ基地がへこんでる。
(本稿はZINE『自分のためにしか生きられない―脳の排泄記録』
第1号に掲載した文章に加筆したものである)