受付悲喜交々
文責:ブランク
最近は専ら、食堂か受付で食事を摂ることが多くなってきた。受付は存外に慌ただしい場所で、現棟と新棟を往来する人、宅配を受け取りに来る人、カップ麺を手握った人、色々な人が来ては去っていく。落ち着いて食事をとるには向かないが、まあ退屈な食事よりはマシだ。
平日の日中は、大抵、受付に寮生が一人留まって、宅配を受け取ったり、来寮者に対応したりしている。所謂「受付待機」である。
とある昼下がりのこと。受付待機の寮生がデスクで作業していると、郵便の配達員さんがせかせかと歩いてきた。が、どういうわけか荷物を持っていない。
「どうも。何の御用ですか?」
「今日は荷物届けに来たわけじゃなくって、荷物を回収しに来たんやけど……。今月の頭に、××さん言う方宛てに赤い箱を届けたらしいんやけど、その方がもう退寮して別の所にいはるらしい」
「なるほど、じゃあその赤い箱を探せばいいんですね?」
「せやねん。ちょっと手伝ってくれんか?」
「わかりました。赤い箱、赤い箱……」
という訳で、二人は「赤い箱」を探し始めるが、受付には寮生宛ての大量の荷物が積み重ねられており、なかなか見つからない。別の配達員さんが届けた荷物らしく、その方は荷物の正確な形や大きさをご存じなかったようだ。
「いや~、見つからんな……。せめて荷物の形とかわかったらなあ」
「うーん、もしかしたら、箱じゃないのかもしれませんね。……あ、少々お待ちください」
そう言って寮生は、寮の内へバタバタと駆けていき、数十秒で戻って来た。
「郵便カゴにありました! ××さん宛てのレターパックライトです」
「レターパックライトか! なるほどなあ、赤い箱ってそういうことか。すっかり騙されとったわ。やっぱ京大生は頭ええなあ、ありがとうな」
「いえいえ、そんなことは……」
などと言いつつ、褒められて満更でもなさそうな京大生。マスクをしていなければ、鼻の下をだらしなく伸ばした顔を配達員さんに見られていただろうが。
私はやったことはないが、受付待機をしていると色々な訪問者と出会うらしい。一人で暇しているところにあの配達員さんのような感じのよい方と出会ったときの清々しさは、想像に難くない。
再び場面が変わって、今宵の受付の空気はやけに馨しい。
「えーすごい! 何ですか、これ?」
「チヌ、一匹だけ釣れたんよ。食べる?」
「え、いいんですか? じゃあ一切れだけ……うまーっ!」
お腹が空く時間帯に受付を通ると低確率で発生する、ご馳走おこぼれイベント。そのきっかけは寮生の誕生日だったり、単に誰かの厚意だったりするが、今回は釣果が頗るよかったようだ。鮮やかに盛り付けられた刺身はとても、釣った人だけで食べ切れる量ではなく、通りがかった人はありがたくご相伴に与っていく。釣りたての刺身はさぞかし旨いことだろう。杯を仰ぐ手も止まらない。
受付の炬燵はその貧弱な火力にも関わらず、寮生の団欒の象徴とも思われる。特に厳寒の冬には、ブラックホールのような引力で道行く寮生を吸い込み離さない。
さても魚はやはり刺身が美味しい。たまには生魚を食べないと頭がおかしくなる。
またある日、いつもより多くの人が集まっている炬燵——。
額を合わせて、深刻な表情で話し合う寮生たち。なぜか普段より慌ただしく、足取りもせわしい。
私にはよくわからないが、吉田寮は「自治」で運営されているらしい。雑駁に言えば「自分らのことを自分らで決める」といった所か。恐らくあの集まりは、その「自治」絡みの活動だろう。
それで、その自治というのが気に入らない大人もいるらしく、吉田寮もろとも潰されかかっているとか。そればかりか裁判まで起こされてしまっている。京大の学生が、大学に。
受付の壁という壁を埋め尽くすビラの数々を見るにつけ、この人たちはなぜそうまでして、上の言うことに逆らうのだろう、この古びた建物を残したいのだろうと疑問に感じることがある。素直に出ていけば楽なのに、壊してしまえば速いのに、寮の外にも楽しみはあるだろうに。
しかし、受付を飛び交う言葉に耳を欹てていれば、時折、そのヒントが聞こえてくる。
「吉田寮って日本で最古の木造建築なんでしょ」
「それは法隆寺やろ。吉田寮は日本最古の現役の木造学生寮」
そういえば、吉田寮現棟には建築学的な意義があるらしい。学のない私には説明できないが。
「吉田寮入ってなかったら、友達全然いなかっただろうな……」
オンライン生活が始まってからは、吉田寮がくれる人間関係はますます貴重になったようだ。
「普通のアパート高すぎん? 月3万て、吉田寮の1年分やん」
そう、吉田寮は安い。困窮学生の受け皿としての意義は言うまでもないが、単純に多くの学生にとって、賃貸に類を見ない低廉な寮費のありがたみは、あまりにも、他を以て代えがたい。
なぜ吉田寮を残したいのか? その答えは果てしなく十人十色で千差万別だ。自治に拘る理由、現棟を使い続ける理由もそう。読者諸賢が抱いているであろうそのような当然の問いに、私は理路整然と正解を述べることはできない。が、なぜだろうか、寮の内部事情をほとんど知らない、寮のために何か働いているわけでもない私でさえ、最近は何となく、吉田寮が長いこと残ればいいと思っている。
受付で何もせずにぼーっとしているだけでも、案外多くの寮生や寮外生と遭遇しては、何事か声を掛けてくれる。が、私から話しかけるのは空腹なときだけだ。それに関しては少し申し訳なく思っているが、端的に言えば、私はあまり人への関心がない。
そう言いながら、自然と受付のほうに足が向くのは、炬燵に群れる寮生を見ていることや、段差に腰かけて紫煙を燻らす人々の会話を聞くのが楽しいからなのだろうか。寮生ならざる私の意見では、寮生諸賢からはあまり賛同を得られないかもしれないが、私は受付という曖昧な空間にそこそこの愛着を感じている。いや、単に、ご飯にありつける場所だから、そう感じているだけなのかもしれないが。
木立に囲まれ、旧世紀から取り残されたような吉田寮現棟の受付。間もなくここを通って、今年も、新たな仲間がたくさん集まるのだろう。私も、竹藪の陰で待つとしよう。
そろそろ眠くなってきた。中庭で昼寝でもするか。