吉田寮の不思議な鍋
野村 幹太(写真家)
私はかれこれ十年以上吉田寮の写真を撮り続けているのだが、初めて吉田寮の建物に入った日のことを今でも鮮明に覚えている。
2008年の晩秋のある日、寮生でもない私は恐る恐る、銀杏並木の先の鈍い電灯の光に照らし出された怪しげな入り口をくぐった。玄関で会ったGさんという学生が建物の中を案内してくれるという。あまりにも親切だったから拍子抜けした。さらにこれから鍋をするから食べていけと言われ、旧印刷室と呼ばれる20畳ほどの広い畳の部屋に案内された。
畳といっても万年床のような布団が散らばり、脱ぎ散らかした服、吸殻で山盛りの灰皿や酒瓶で足の踏み場もなかった。わずかに覗く畳の表面は経年や汚れですり減っていた。壁には半永久的に干された洗濯物。揚げ餃子のような枕。しかし、不思議なことに部屋の中の独特の匂いはガスストーブの暖かさと相まって人の気配と温もりを感じさせた。
土鍋のふたを開けると、そこにはニワトリの生首が浮かんでいる。目は閉じているのが救いだ。Gさんによると頭が一番良い出汁を出すらしい。そのニワトリはさっきまで庭を歩いていたそうだ。玄関で絞められたようで、玄関の石段にはどろっと濁った血と羽毛が散らばっていた。
私はあっけに取られていたが、鍋がグラグラ煮えるにつれて、どこからか寮生たちがわらわらと集まってきた。私はその学生たちに混じりながら、知り合いも友人もいないので、なんとなく小さくなっていたが、誰も私のことを気にする様子もなく、ひたすら皆で鍋を一心不乱につついていた。鶏肉は今までに食べたことがないゴムのように固い肉だったが、誰もそんなことには頓着せず、ただ目の前の鍋を食うという熱気が漂っていた。部屋全体に鍋の湯気とともに人いきれが立ち込めていた。
いつしか、なぜ自分がここにいるのか、とか、知っている人がいないとか、どうでもよくなっていた。もてなされたわけでも招かれたわけでもない。ただ私がここにいても誰も気にしない、不思議な間合いだった。吉田寮にはこういう空気がある。当時も今もそれは変わらない。多様な人間を受け入れる。しかし密な人間関係を強要するでもない。それぞれの事情に干渉もしない。そんな空間に慣れてきて満腹になってきたころ、ゆっくりと眠気が這いよってきて、誰のものともわからない万年床の上で、私はそれに身を任せたのだった。
以来私は、いつの間にか吉田寮に足しげく通い、寮生とは違う目線で吉田寮の写真を撮り続けてきた。そして昨年度、十余年越しに私の写真集「吉田寮学生寄宿舎史」は完成した。しかもその写真集はパリとニューヨークで展示される機会に恵まれた。長い歴史の中の一部分ではあるが、その写真の中には、変わりゆく吉田寮と、変わらない吉田寮の独特の空気を写し取れたように思う。歴代の寮生たちに混じって、今年の入寮生たちもまた、新たな吉田寮の気風を醸成していくのを楽しみにしている。