あなた方が忘れていることについて

あなた方が忘れていることについて

 

あなた方が忘れていることについて

印字町羽湯  (吉田寮秘術部)

「それ」が歴史に初めて登場したのは西暦900年代である。『櫛雲物語集』(923)に「それ」と思わしき記述がある。

ここを起点として、「それ」はたびたび歴史的記録に姿を現している。『両而記』(1588)や、『続四扇抄』(1765)など、ありとあらゆる時代、場所に「それ」の出現、および「それ」による被害が報告されている。

「それ」はある霊魂である。いや、「魂」などといった有機的、生物的な性質には乏しいように思われるので、むしろ「霊体」、あるいは単に「現象」などと呼ぶのが正確であろう。

「それ」は古来より人間の敵であった。

不幸にも「それ」と出会ってしまった人間は例外なく「それ」に殺される。「それ」は人間の前に突如として現れ、その人間を殺害し、そして跡形もなく消え去る。

あとには何の痕跡も残らないが、しかし例外がふたつだけある。「それ」に殺された人間の死体と、その心臓に突き刺さっている一本の矢である。

「その矢は突如として現れた」、「その矢は出所が不明である」、「そもそも被害者はたった一人だった」、「その矢を射出できた人間は存在しえなかった」、……といった、一種不可解な状況が常に「それ」の出現に伴った。

歴史が進んでいく中で、人々はこの奇妙な現象の背後に一つのつながりがあること見抜き、そこに人知を超えた力を嗅ぎ取った。

いつしか人々は、その力の持ち主である「それ」の存在に気付き、「それ」は人ならざる化け物で、音もなく人間の命を奪いに来ると考え、矢筒を背負い弓を引く幽霊の姿を想像しては恐怖した。

実のところ「それ」の姿は現在でも不詳である。「それ」に出会って死んだ者は何人も記録されているが、「それ」の姿を記録した資料に関しては今なお一つも確認されていないのである。

この事実は、「『それ』に出会ってしまったら逃げることはかなわず、死ぬしかない」という仮説を強力に裏付ける。自分の目の前に「それ」が現れたら一巻の終わりというわけである。当時の人々が大いに恐怖したことは想像に難くないだろう。

しかし実際はもっと恐ろしかった。「それ」が出現する条件についてである。

「自分の目の前に突如として『それ』が現れ、心臓を矢で射ち抜かれる」。ある人間がこの憂き目に合うかどうか? ここには、実は明確な条件が存在した。明確、かつ残酷な条件であった。

その条件とは、「トリガーとなるある行動をとる」ことだ。このトリガーアクションの回数が増えるほど、例の化け物が出現する確率も高まることが分かっている。

ではそのトリガーアクションとは一体何か? 答えは、「特定の歌の歌詞を思い浮かべること」である。この「特定の歌」は全部で5種類あり、いずれも、各時代におけるわらべ歌(すべて作者不詳)であることが判明している。

トリガーとなるのはこれら5種の歌を脳内に「思い浮かべる」ことだ。

「歌う」ことでないという点に注意が必要になる。「歌う」よりも「思い浮かべる」の方が簡単なことは言うまでもないだろう。「歌う」ためには歌を脳内に「思い浮かべる」必要があるからだ。

従って、不幸なのは、「例の化け物の存在」と「トリガーとなる歌」、そして「自分はその歌を考えただけでその化け物を呼び出してしまうということ」と、これらを全て知ってしまった人間である。このような人間は、一瞬たりとも歌詞が意識に上ることがないよう人生の全ての時点でその歌を頭から締め出し続けねばならない。当然そんな精神の集中はそう長く続くまい。このような者はほぼ全員、途中で「脱落」してしまったものと思われる。

ところで、「歌う」ではなく「思い浮かべる」がトリガーとして働くという事実はいかにして判明したのか? それは、平安時代の逸話集『ますめ草紙』(1011-13)に、次のような文章が見つかったことが発端であった。

……この童、いとうれしげなるにて[判読不能、人名か]のへたる[トリガーとなる歌のタイトル]などひつつ、垣のうちにてぞ立ち走りける。………(中略)……(「童」の家を訪れた叔母が)地に臥したる童に寄りて見るに、一本の矢、胸深く貫きてあり。息すでにえ果てぬ。驚きて、とく兄(「童」の父)に知らせむとて(庭に面している父の部屋に)入るに、(父は)また矢にぞ胸射られたりぬる。……

これは、トリガーの歌を歌っていた「童」と「兄」(すなわち「童」の父)が呼び出してしまった「それ」に殺害されたシーンを怪事件として描いているものだと思われる。

「童」が殺されてしまったことについては、トリガーが「歌う」であれ「思い浮かべる」であれ説明がつく。しかし「童」の父親が殺されたことについては、「思い浮かべる」がトリガーでなければ説明がつかない。

実は、この引用より前の部分で、「童」の父は数年前から病気で寝たきりで、しかも全く声が出せない状態だったと説明されている。つまり、彼が起き上がって「童」の前に出現した「それ」を目撃することも、あるいはトリガーとなる歌を声に出して「歌う」ことも不可能である。しかし、すぐそばで息子が気に入って何回も歌っていたその歌詞は、同じく何回も彼の意識に上ったものと思われる。

以上を鑑み、「童」の父が殺されたことを説明するため、化け物を呼び出すには「歌う」までもなく、単に「思い浮かべる」だけで十分なのではないか、という仮説が立ったのである。

そしてそれは正しかった。「それ」が出現する唯一の条件は歌詞を「思い浮かべる」ことであると、1911年、北陸帝国大学の研究者たちが徹底的な調査・実験の末に明らかにした。

さて、話の舞台は現代に移る。残念なことに、先に述べた5種の歌のうちの1種類が、現代でも残っており、今なおわらべ歌として広く知られている。

例の化け物もまた、近代以降も存在し続けている。あたかも、「それ」は「それ」であるがままに「それ」であり続けるのが当然、と言わんばかりである。冒頭で「それ」を現象と表現したのはこうしたことによる。

だが、記録が始まった明治4年以降、この化け物による被害者数は着実に減少していった。その理由は、歌の歌詞の変化にあると思われる。

現代に1種類だけ生き残るそのトリガーの歌は、明治時代にはすでに唯一の生き残りであった。しかし今のそれとは細部が違う。単語の変化、歌詞の変化、文字の変化、発音の変化、イントネーションの変化……、様々の差異が積み重なった結果である。そもそもこの歌は、少なくとも1800年代には既に存在しているので、この歌が誕生した大昔と比べれば、現代との違いはさらに大きくなるだろう。

そして、その誕生時からの「ずれ」が大きければ大きいほど、例の化け物を呼び寄せる確率は減っていくようなのだ。いわば別の歌になっていくようなものなので、当然と言えば当然であろう。

このまま時代が進み、トリガーの歌はどんどん別のものになっていけば、人々が「それ」を呼び出す確率は限りなく減っていくだろう。このような楽観的予測が広く受け入れられていた。

しかしながら、ここ十年、「それ」によると思われる不審死が増えている。楽観的予測は裏切られたのである。

原因ははっきりしている。この数年で急速に広まったコンピュータ間のネットワークである。これにより、大学などが所有する歴史的資料にアクセスする人間が増えたのだ。トリガーとなる例の歌のより古い時代の歌詞、あるいは誕生したまさにその当時の歌詞を、人々が目にしてしまう機会が増えたものと思われる。

これが非常に大きな問題を示唆していることがお分かりであろうか。今日、コンピュータは急速に普及している。大学のような研究機関のみならず一般の人々の間でも、それは広まりつつある。

つい一、二年前、インターネットに簡単に接続できる機能が搭載された個人向けコンピュータが発表されたことは記憶に新しい。インターネットとはいわば情報の海であり、この大海に一般の人間を導く手立てが、今後、より広く、より充実していくことは容易に想像できる。

そうなれば、罪のない人間が不幸にも例の歌詞に接触してしまうことはさらに増えるだろう。他の4種類の歌についても同様のことは起こりえる。どこかのデータベースに記録されているであろうそれらの歌詞が数百年ぶりに人の目に晒されることは大いに考えうる。

あるいはもっと根本的に、例の化け物自体についても人々の意識が向くかもしれない。そうなれば、ここで述べたようなことはあっという間に調べつくされるだろう。現在はある一地方の伝承に収まっている「それ」が、あっという間に全国不特定多数の人々の良く知るところになってしまう。

そうなれば、思慮の足りない誰かが、「それ」と「それ」を呼び出す5種類のわらべ歌の情報のセットにして、面白半分にネットの世界にばらまくのは時間の問題である。

インターネットでトリガー情報に触れてしまったありとあらゆる人間の目の前に「それ」が現れ、たくさんの人が殺され、騒ぎになる時が、このままでは必ず来てしまう。そうなれば、5種類の例のわらべ歌、すなわち考えただけで「それ」を呼び出してしまう危険なトリガーを人々の意識から隠し続けることなど、全く不可能になる。

事態はもはや看過できない。

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 そこで我々である。

 我々吉田寮秘術部は、独自の技術を用いて、地球上の全ての資料・史料および人間の脳から、「それ」と「それ」を呼び出すトリガーの歌についての記録・記憶を消去する。また、「それ」が残す唯一の物質的な痕跡である矢も、もし残っていればの話だが、特定して、念のために消し去る。

 こうすることによって、人間が「それ」を呼び出す手段は消え、「それ」が人間の前に姿を現すことはなくなる。

 同時に、愚か者が好奇心あるいは悪意により「それ」を追い求め故意に呼び出そうとするなどという、愚かな事態も防げる。人間が持つ「それ」自体についての知識もすべて消えるからである。

 我々はこの処置にある程度の自信があるが、しかし全く不安がないわけではない。その原因は、我々の処置は「人間から『それ』に対する接触の防止」であってその逆ではない点だ。我々は「それ」から人間への接触を封じることはできないのだ。

 前述のとおり、「それ」の性質は自然現象に近く、「それ」はこちらから作用しない限り不利益はもたらさない、と我々は信じている。しかし相手は人知を超えている。「それ」が人間の動きに関係なく出現するなど、不慮の出来事が起こるかもしれない。そのような事態が起きた時に備え、「それ」に関する資料をこの文書とともに金庫で厳重に保管しておく。未来の秘術部員は有事の際に参照すること。

 逆に、「それ」によると思しき事件がある程度長い期間――本件においては四半世紀とする――起こらなかった場合、我々の処置が人々に与える若干の混乱への説明責任を果たすため、この文書をある程度開かれた場所で公表すること。

 「若干の混乱」とは何を指すのかと言えば、それはおそらく文字に関することとなるだろう。

我々はこれから、「それ」がこの世界に存在したことを示す足跡をすべて消し去る。

あとには何の痕跡も残らない。しかし例外がふたつだけある。この文書をはじめとする資料と、人間が名付けた「それ」の名前である。

前者に関して問題はない。未来の秘術部員が重要書類金庫で保管し続ける。

問題は後者、「それ」の名前である。実は技術的な理由で「それ」の名前だけは消去できないのだ。プログラムには命令対象の名前が必須である。それはちょうど、「Aという単語を絶対に使わない。」という文章には、しかし単語Aが必要不可欠であるのと同じである。すべての処置が終わり、地上から「それ」の情報がすべて失われても、「それ」の名前だけは、意味を失い空っぽではあるが、変わらず世界に存在し続ける。

そして悪いことに、「それ」の名前はたった一文字なのだ。つまり、こともあろうに我々の御先祖様たちは、「それ」を指し示すためだけに、わざわざ漢字を一つ発明したのである。

古人が「それ」の特徴にちなんで創り出した、「それ」のみを指す「それ」専用の漢字、それは「彁」という形をしている。

読み方は明らかになっていない。音読みなら「カ」であろうが、訓読みはどの資料にも登場していなかった。秘術部内では読んで字のごとく「ゆみうた」という読みよく当てられる。

我々はこれより、この漢字から意味を奪う。この字には形のみが残される。もし、これが他に意味のある漢字ならばよかったのだが、この漢字は「それ」を意味するためにのみ発明された漢字である。

漢字辞典など意味が併記してある場所では、項目全体、すなわち漢字ごと削除されるが、文字が形だけ並んでいる場所、例えばJIS漢字表などではこの字はそのまま残るだろう。

未来の人々はそれを見て、首をかしげるかもしれない。形はあるのに意味も読みも不明な漢字など奇妙極まりない。「若干の混乱」とはつまりこのことである。

あるいはそれは杞憂で、案外その奇妙さには誰も気づかないかもしれない。またはやはり誰かが気付き、とりあえず若干は混乱したけれども、それはごく一部の人だけの話で、「そんな漢字のことなど知らなかった」という人が大半かもしれない。

いずれにせよ、もしそうであるならば大変に喜ばしい。それは、我々の処置が成功し、それ以来、あの漢字が本当に表すものが一度も出現していないということの確かな証左に他ならないからだ。

吉田寮秘術部

1997/2/15

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 指示にあります通り、二十五年が経過いたしましたので、この入寮パンフレットという場をお借りして以上の情報を開示いたします。

印字町羽湯  (吉田寮秘術部)

2022/2/17