自治の生る木

自治の生る木

 

 

自治の生る木

文責:新芽

 私を数えないで。あなたの奴隷にも主人にもならない。数ある木の数ある芽の一つで、あなたに見分けがつかなくとも、冷たい空にむかって尖りながら生きている。

 時に人間は、人間ではないモノへと姿を変える。名前をつけられ箱に押し込まれた後、その顔は見向きもされない。あなたは「女性」、あなたは「大学生」、あなたは「外国人」、あなたは「短期アルバイト」...。そんな名前で呼ばないで。他人に一方的に強制させられることもあれば、自分から選んだかのようにいつのまにか“そうなっている”こともある。そして、モノを見る眼にさらされる私もまた、モノを見る眼で他者を見つめてしまっている。同じ人間として心を通わせようとすることなく、偏見や他人のつまらない言葉で人のことを捉えただけで、額にお札を張り付け人格を封印しようとする。

 しかし本当は、私たちは一人ひとり異なった性質と意思とをもち、芽吹きたい方向も、好きなものも、足りないものも決して同じではない。それらの違いを無視して上から管理されればそこには誰かの犠牲が生じる。

 吉田寮は、このように個々の違いをないがしろにして枯らすことがないように自治寮として存続している。自治とは、自分たちの意思に基づいて、自分たちに関する事を、責任をもって対処することである。生活における隣人との意見のすれ違いを解決するにあたって、自治は細やかな対応を可能とする。その人の求めるところを最も分かっているのはその人自身であるから、自ら決定の場に参加することで、意思に反した行為を他人から押し付けられることなく、より円満な解決案が導かれうる。

 このような自治というものが機能し、成員の自由な意思が守られるためには、年齢、性別、国籍、経験などに関わらず対等な人間として、自由に発言できる場の存在が重要だ。人は、たった一人で全ての人を幸福にすることができなければ、たった一人で自分自身を幸福にすることもできない。不満や不安を感じても声一つでは簡単に押しつぶされてしまうからだ。だからこそ、各々の求めることを互いに聴きあい、合意形成を可能とする対等な関係の集団であることが必要とされる。人それぞれが持っているものも得られるものも不平等だが、人間は平等に重んじられるべきであり、価値ある存在として、話し合う相手として重んじる姿勢が自治を支える。その上で話し合いが行われ、言葉を交わす中で信頼関係を育む。互いを尊重し、考えを巡らせることで、私たちは踏みにじられていた権利に気づく。踏み潰していた権利にも気づく。そうした結果として、成員の福利を叶えうる選択肢を様々考え出し、合意に至ることができるのだ。

 吉田寮では、互いの異なる意見を尊重したうえで、話し合いを重ねて合意を形成することを目指す。この自治は自由と平等の連理の枝となった先に生まれたものだ。たゆまぬ自治によって、吉田寮の入寮資格制限は今のように「京都大学の学生」という一点のみになりそれが保たれてきた。

 他にも自治によってかつて勝ちとった成果、必死に守られてきたものが京都大学には残る。一度失えばもう戻ってこないだろうものがほとんどであり、人の入れ替わりを乗り越えて絶え間なく活動し続けることは並大抵のことではない。

 「自由の学風」を掲げる京都大学では新しい総長のもとトップダウン化がますます進み、この春で保険診療所は廃止することが決定された。タテカンの姿を寮以外で私は見たことがない。管理になれた者は問題に無関心で、問題意識を持つ者の間でも大学執行部に対して意見をしても相手にされない無力感が蔓延している。

 それでも、自治の精神はこの大学で息づいている。

 

 新しい光が一年を思い出に連れ去った。さむい、寒いと呟く声は春の息吹に抱きしめられる。やわらかな雨でこの世界が透き通ってゆきますように。信じることができますように。皆が美しい夜を迎えられますように。

 銀杏並木の向こう吉田寮に臨むあなたにまみえる日を希う。

2022年春 京都大学吉田寮にて