食堂あそび

食堂あそび

2022年2月25日

食堂あそび

文責 ルーシー・S・ブラウン

しょく‐どう ‥ダウ【食堂】

〘名〙 食事をするように定め、そのように設備した部屋。じきどう。また、食事をさせる店。

出展:コトバンク

 コトバンク先生によれば、吉田寮の現棟と新棟の間にある建物は1986年4月1日、「食堂」ではなくなった(→p.184『吉田寮小史』)。では今日の吉田寮において食堂と呼ばれているその建物はいったい何なのか。

 私は2018年の寮祭の頃から寮外生として吉田寮に関わっている。吉田寮では、寮籍を持たずに寮に関わる人々のことを京大の学籍の有無やその社会的身分 ―学生とか労働者とか― にかかわらず「寮外生」と呼ぶ。私がこの4年間弱、最も多くの時間を過ごした場所が、他でもない食堂である。

 いったい何をして4年間弱もの月日を食堂で過ごしてきたのか?あそんでいたのだ。寮内外から食堂を訪れる様々な人と駄弁り、ライブをして、芝居をして、立て看を作って、会議をして、煙草を吸い、酒を飲んで。さて、寮生ではない、京大生ですらない私になぜそんなことができるのか?それは、吉田寮の食堂が自治空間だからである。

 自治空間とは何か。そう呼ばれる場所に関わる全ての人が納得できる答えは無いかもしれないが、私にとっての答えは「その場所を使う人たちによってその在り方が定められる場所」だ。例えば吉田寮は、寮生たちからなる吉田寮自治会によってその在り方 ―誰が住むのか、どうやって住むのか、どんな寮であるべきなのか、etc.― が定められる。では食堂は?

 1986年、食堂は「食堂」ではなくなった。炊フがいなくなり寮生たちのダイニングルームでなくなったその場所は、がらんどうの空間になった。ある日、ある学内サークルが吉田寮自治会に「ここで芝居の公演をできないか」と持ちかけた。それからしばらくして、そこは芝居小屋になった。それからほどなくして、芝居ができるならとライブをする人が現れた。踊る人、絵や写真を展示する人、炊フがいないならと自らの腕の限りを尽くして寮内外の人々に料理を振舞う人…。色んな人が、その場所を思い思いに使い始めたのである。そして彼らは「食堂使用者」と呼ばれるようになった。

 その後発足したのが、食堂を使いながら維持・管理・運営する個人や団体の集まりである「食堂使用者会議」だ。会議は毎月13,28日の21時から開かれ、食堂に何らかのかたちで関わる意志さえあれば誰でも参加できる。例えばあなたが食堂でイベントを開きたいときは寮自治会の会議よりも前にこの会議を通さなければならないし、あなたが食堂の壊れたクーラーを直してより快適な空間を作りたければ、この会議で予算をぶん取ることができる。

 そして重要なのは、これらの全てが、そのとき食堂を使っている人たち ―もちろん寮生だけではない― の話し合いによって決定・実行されるということだ。食堂の在り方は、食堂使用者たちによって定められる。私がこの食堂で寮外生としてあそび続けてこられたのは、私の意欲と食堂への主体性が続く限り好きなだけ食堂に関わっていることを可能にする、このような構造があるからだ。

 私は食堂の色んな姿を見てきたし、色んな食堂を作ってきた。天井も壁も見えなくなるぐらいの装飾が施された巨大なイベント会場、役者40人と観客200人を収容する芝居小屋、汗と唾が飛び散りベースの音で窓が震えるライブハウス。しかしコロナ騒動が始まってからは寮生の大きなリビングであることが多い。もちろんそれを否定するつもりはないが、食堂の在り方は決してそれだけではないのだと、ひとりの食堂使用者として言いたい。

 食堂と現棟は今、京大から追い出し裁判をかけられている(→p.28『~具体的な争点のまとめ』)。この大きすぎる敵と闘うには多くの仲間が必要だ。さて、食堂が吉田寮と外の世界をつなぐ窓口の役割を担ってきたことは、ここまで読んでくれたあなたなら分かってくれているだろう。毎週何かしらのイベントが開かれていたコロナ前の食堂でどれだけ多くの寮外生が生まれたか、そしてなぜ2022年2月現在の吉田寮にはほとんど寮生しかいないのか、これもきっと説明しなくても分かってくれるだろう。

 食堂はリビングであり、イベントスペースであり、窓口であり、そして・・・

 あなたはどうだろう?どんな食堂が見たい?どんな食堂にしたい?まだ見たことがないからわからない、そりゃそうだ。ぜひ食堂に来てほしい。あなたの目の前にはどんな食堂が広がっていて、あなたは何を思うだろうか。ぜひ私に教えてほしい。一緒に食堂でのあそび方を考えよう。単管も平台も音響機材も照明機材も資材もがらくたもある。足りないのはあなただ。

 私は食堂であなたを待っている。