敬語を使わなくてもよいということ

鷲見 結良

 吉田寮では敬語は非推奨とされています。この文化は学生運動が活発だった時代から続いてきたもので、年齢や性別、寮歴などに囚われず誰とでも自由闊達な議論ができるようにするという意図が込められています。吉田寮における大切な原則である「話し合いの原則」を支えるものでもあります。

 敬語は古代から現代まで使われ続けています。かつては上下関係を表すことと密接に関連している時代もありましたが、あなたはどのように使うことが多いですか。目上の人だから丁寧な言い方をしておこう、別に目上というわけではないけれど相手を立てておこう、自分の品格を保っておこう、親しくないから距離を置いた言い方にしよう、言葉遣いや距離感をのことで気を揉むのは嫌だから、敬語という無難な定型を選んでおこう…といったところが主な理由でしょうか。少なくとも吉田寮では、相手に萎縮する形で生じる敬語を使う必要はありません。もちろん敬語を使うなと言っているわけでもありません。たまに誤解する人がいるようですが、禁止ではなく、あくまでも「非推奨」です。もちろん寮内に敬語を使う人はたくさんいますよ。

 相手と自分の立ち位置を揃えるために、どんな内容でも話しやすくするために、敬語をやめるのは効果的です。今この文章を読んでくれているのはどんな人なのかわかりませんが、ここから敬語やめます。

 「敬語をやめる」というのは、誰彼構わず全開のタメ口をきくっていうことやない。例えるなら、ガスコンロのつまみを調節するみたいに、できる限り弱火に絞る技術のことやと思う。弱火にすることができるようになれば、いつでも最高火力にもっていくこともできる。そもそも敬語だけに頼らんでも、態度や仕草や表情を使って相手に尊重の念を伝えることは可能で、敬語でしかそれを表現できないなんていうのも浅はかな文化やと思う。もっとささやかに、無意識に伝えられるほうが本物って感じがする。逆に言葉は丁寧だけど態度は無礼っていう場合もあるやん。慇懃無礼ってやつ。敬語さえ使っていれば丁寧になるかと言えばそういうことやなくて、相手への配慮の意識が欠落していれば対等で自由な対話なんて実現しん。言葉遣いは相手に強制すべきやないし、自分の基準を相手に押し付けるようなことも慎むべきやと思う。吉田寮に来た人は誰でも自分の話しやすい方法で話せばええし、ここではそれを受け入れる雰囲気が既に醸成されとる感じがする。敬語もタメ口も日本語以外の言語も、この空間ではごちゃまぜになって飛び交っとる。

 吉田寮では、新入寮生は入寮後約1ヶ月、大部屋でぎゅうぎゅうになりながら過ごす。皆の共通点は「京大に学籍を有する学生またはその者と同居の切実な必要性のある人」であるということだけやから、年齢も性別も考え方もこれまでの生き方もバラバラ。人間闇鍋みたいな空間で共同生活するうえで、楽しいことも驚くことも沢山ある。もちろん、どうしても衝突は避けられん。でも「敬語を使わなくてもよい」と言ってもらえとるで、自分の意見を臆せず言えるし、会話のハードルが下がる。家族やない、でも同じ場で生活を共にする人たち。上下関係とか言葉遣いを気にせんと自由に話ができるって楽しいもんやお。

(補足:文責者は岐阜出身。普段通りに話すとたまに「関西弁?」って言われる。岐阜南西部の言葉遣いは、確かになんか名古屋弁と関西弁が混ざったみたいな感じやな。自分ではあんまり関西弁ぽいとは思っとらんかったんやけど。)