自由と責任と学びと人生

農学部 檀浦正子

わたしは農学部の森林科学が専門で、森林があれば、いろいろなところに行きます。北方林にいくと温暖化の影響を感じますし、マングローブ林の中のプラスティックごみの量におどろきます。森林における人間作用の大きさを感じることが増えています。

みなさんはどのような気持ちで大学に入学されたでしょうか。初めて親元を離れる人もいるでしょうし、そうでない人もいるでしょう。期待でいっぱいかも、あるいは、不安でいっぱいかもしれません。高校までは与えられる教育だけど大学になったら自分で考える学問だという人もいます。そもそも学問ってなんでしょう。大学は大学に行けなかった人のためにあるといった人がいます。いまの世界はどうなっているでしょう。さまざまな環境問題とコロナによる世界の封鎖、ウクライナで戦争がはじまり、ガザ(16年つまりあなたたちが生きてきたほとんどの時間、閉鎖されてきた場所)への侵攻がおこりました。震災のニュースと、ポピュリズムを考えさせられるアメリカ大統領選。そういう世界を手渡されて、そうしてどうしたいか考えていくのです。

大学のうちに学んでおくことは、平らかにいえば、自分でかんがえるということです。学問を通して、自分で考えるという姿勢を身につけていくこと。そうすることは、騙されないで生きてくことにやくにたちます。あれ、おかしいなという気持ち。もちろん先生のいうことだって間違っていたりするのです。

そして、あれ、おかしいな、と気づいたときに、まあいいか、面倒くさいという気持ちがあれば、時間をかけてながめること。偉い人がいったから、みんながそうだから、そういってあまり考えずに従うことは、しらずしらずによくない方向に行くのを許し、ついには戦争にすら加担してしまうことにつながります。

あるとき韓国に偏見をもっている学生に会いました。よく聞いてみると、これまで身近に韓国人がいたことはなく、韓国に行ったこともありません。インターネットの情報や匿名の書き込みで、嫌悪感を増幅させていたのです。でも中国について悪く書かれていても、中国は嫌ではないそうです。なぜかというと、とっても仲のいい中国人留学生のともだちがいるから。人にはそんなところがあって、誰か一人でも知っていれば、その国を自分に引き寄せて考えられるのに、そうでないものは触れてもいないのに差別意識をもってしまう。情報化社会の負の影響も相まって、レッテル張りや偏見が生じてしまうこともあるのです。

私は以前フランスで研究をしていました。フランスは移民が多い国です。一昔前、郊外に大きな低所得者向けのアパートが建設され、そこに移民が多く居住しています。結果として移民がある地区に隔離され、市井の人から見えなくなったのです。そして移民の多い地区の学校では、シャルリ・エブドのテロの際に歓声すらあがったとききました。現在では、分離は間違いであったとの認識が生まれ、移民も現地の人も一緒に混ざり合って住めるように、郊外のアパートの取り壊しが始まっています。同じクラスに別の国の人がいたら、小さいころからの友達であったら・・事態は変わっているでしょう。

まずそこに、自分と同じ人間がいることを認識すること。関わることでもたらされる認識が行動を変える可能性があります。「何千という人々すべてを見まわすことは、必要じゃない。」「その時々に、一人の命に触れるかどうかが問題なんだ。」というのはガンジーの言葉でしたでしょうか。

大学に入ったら、ぜひいろんな人と会い、よくよく話をしてみてほしいです。吉田寮のいいところは、話したり考えたり、自分で動いたりする機会がたくさんあることかもしれません。もちろん吉田寮に入らなくてもいいです。でも、この世界がおかしな方向にいかないようによく考え、おかしいなと思ったら、声をあげてください。