石井美保(人文科学研究所 教員)
はじめて吉田寮に足を踏み入れたのは、京大の大学院に入学した1996年の春のことだ。どんな経緯で寮を訪れることになったのかは憶えていないのだけれど、その場所には、不意に出くわしたという感じだった。
古い建物のまわりに丈高く生い茂った雑草。貼り紙でいっぱいの壁と木造の廊下。共同の部屋なのか個人の居室なのかわからない、生活感にあふれた居住空間。
広々した札幌から越してきて間もなく、京都という街に馴染めないでいた当時の私にとって、そうした吉田寮の光景はなんとなく懐かしさを覚えるものだった。そのとき思いだしたのは、深山荘(しんざんそう)(仮名)のことだ。北大に通っていた学部時代、サークルの先輩や友人たちが、数人で一軒家を借りて暮らしていた。冬には豪雪で屋根が傾き、引き戸が凍って閉まらなくなるようなおんぼろの家だ。床には本やら酒瓶やら登山道具やらが山と積まれ、いつも炬燵で誰かが寝ていた。吉田寮をみて深山荘のことを思いだしたのは、乱雑で自由で気安げで、それでいて緩やかなルールの保たれた共同生活のありように、似た雰囲気を感じたからだ。そして、そのどちらの場所にも、気儘な猫の姿があった。
猫にもよるだろうけれど、野良に近い猫たちにとって居心地のよい空間は、風通しがよくて干渉されず、出入り自由な場所だろう。それと対照的なのは、規格化されて機密性の高い、のっぺりつるんとしたオフィスビルのような空間だろうか。
京都という街だけでなく、京都大学にもどこか敷居の高さを感じていた当時の私にとって、そんな風に猫やニワトリのうろついている雑然とした場所があることは、ちょっとほっとすることだった。そして、そんな場所や風物は、気がつけば京大のあちこちに点在していた。百万遍に面した石垣に、所狭しと並んでいる立て看板。時計台前の広場にときどき出没する青テント。石垣の上に鉄パイプで作られた即席のカフェ。それらはどれも、こちらに向かって、独特な仕方で呼びかけたり、誘ったり、訴えかけたりしていた。その背後に誰がいて、どんな考えや欲求があり、何を語りたいと思っているのか。それが目に見える形で表現され、通りすがりの人に向かって、対話のとっかかりを差し出していた。
深山荘や吉田寮に出入りしていた猫たちにとって、でも、一番の目当てはそこにある食べものだったのかもしれない。吉田寮の食堂に、私はたぶん一度も行ったことがないのだけれど、食堂という場所は寮の暮らしの要だろう。そこに行けば誰かがいて、何か食べるものがあるということ。歓待はされないまでも、その場にこっそり交じることができること。それは大きな安心だ。
たとえば、地震や台風などの災害が起こったとき。急に具合が悪くなったとき。お金に困っているとき。失恋したとき。大切な人をなくしたとき。そうした大小の困難に見舞われたとき、「安否確認システム」での安全確認だけでは間に合わない。既存のシステムが役に立たなくなったとき、頼れるものは人と人の、地味で地道なつながりだけだ。
いま、大学の内外で必要とされているのは、そうした場所ではないかと思う。フレキシブルでおおらかで、誰でも交じることができる場所。そこに行けば誰かがいて、何か食べるものがあり、対話の用意ができている場所。
そうした場所は、自然発生的に生まれたようにみえてそうではなく、なんとなく維持されているようにみえてそうではない。その場所にかかわるそれぞれの人が、その価値を認めて、能動的に守ろうと思わなくては守ることができない。そして、いったん壊されてしまうと、そうした場所は簡単には再建できない。
いま、百万遍の交差点に面した京大の石垣には、立て看板の姿はない。カラフルな立て看が表現していた誰かれの顔や声、対話に向けて差しだされていた手は見えなくなってしまった。まるで最初からそんな風景はなかったかのように、のっぺりとした石垣の前を、毎日大勢の学生や職員や教員たちが通り過ぎていく。
けれども、東大路通をもう少し南下すると、道路の東側にある吉田寮の門の近くに、何枚かの立て看板が現れる。大きくはないけれども、それはただの看板ではない。それらはこちらに向けられた顔であり、声であり、ある価値のかたちであり、佇まいだ。
それらの立て看を横目で見ながら、私は忙しげに大学の門をくぐり、のっぺりつるんとした建物の中に吸い込まれていく。まだ、ある。まだ立て看はあるし、寮もある。そのことに少し安堵しながら。でも本当は、それらは存続の危機に曝されていて、いつまでここにあるのかはわからない。そう考えるときに胸によぎる不安は、でもすぐに、引きも切らぬ日常の業務の中にかき消えてしまう。
そうやって、足元にある大切なものの危機を、そのかすかな徴候を見過ごしているうちに、取り返しのつかない大きな危機へと向かう変化をも見過ごすことになってしまうのではないか。何度も何度も、歴史はそのことを証明してきたのではなかったか。
未来の京大に、猫たちの居場所はあるのだろうか。
安否確認システムさえ作動しなくなったとき、そこを目指して歩いていける、灯台のような場所はあるのだろうか。
そこにたどり着きさえすれば、きっと誰かがいて、何か食べるものがあり、対話の用意ができている。そんな場所を守ることは、きっと大学の根っこを守ることだ。
大切なものが壊されようとしているとき、それを黙って見過ごし、初めからなかったかのようにふるまっているうちに、長い年月をかけて張りめぐらされた根っこはことごとく断たれ、大学は無線LANで連結されたキューブの集合体と化し、教員も職員も学生たちも、京都大学ポータルに登録された記号だけの存在になってしまう。
そんな未来は、とっても嫌だ。 だから私は、のっぺりした建物の中で自足しているだけではなくて、雑多で柔軟でおおらかな、猫の出入りする場所を守る価値のほうに、立っていたいと思う。