【一橋大学中和寮】学生の声を聞かないという愚は吉田寮だけじゃない!

2020年は新型コロナウィルスによる影響が各所でみられた。それは大学界でも例外ではなかったであろう。そのひとつとして大学での生活を送ることに不自由さが生じたり、コロナの影響による経済的不安などの声があがっていたりしたことは比較的多くのものに知れ渡ったであろうと推測する。だが、こうした問題は、そもそも本邦における高等教育に対する政策・制度が脆弱あるいは改悪されていったことに端を発するといえよう。コロナウィルスによってこうした問題が生じたというよりは、むしろそれによって顕在化したというほうがふさわしい。ただでさえ教育という場に関しては、高い壁が設けられていた本邦であるが、この一年間はそれを強く認識させられるものであった。

以下に紹介するのはここ近年の一橋大学での動きである。ここ数年、一橋大学ではさまざまな問題が起きていた。紙幅の都合で、詳細を記述することを省くが、一連の問題の最も根たる点を指摘するのであれば、それは大学における意思決定のプロセスに大学の構成員たる学生および教職員の声が排除されていたことにある。詳細については全国大学院生協議会のHPに連載された「シリーズ 一橋大学から見る近年の大学諸問題」(https://www.zeninkyo.org/archives/category/report/)を参照していただくとして、ここではダイジェスト的に一部を紹介しよう。

ここ数年で起きたこととしては寮費値上げの問題と授業料値上げの問題がある。前者は2018年に一橋大学の一部の寮で次年度入学者の寄宿費がこれまでの金額より4~5倍値上がることが一方的に通達されたことを指す。後者は2019年に起きたことで、2020年度以降の学部入学者の授業料が535,800円から642,960円まで引き上げられることが一方的に通達されたことを指す。どちらも反対運動が展開され、大学当局に再三の会合開催を求めたがどれも一度とて聞き入れられることはなかった。つまり学内構成員の声を聞かないという選択を大学当局は採ったのである。

そもそもこのような状態は2015年以降より見受けられた。その前年たち2014年に学長・副学長が変わり蓼沼学長―沼上教育・学生担当副学長体制がスタートした。それ以前は副学長と学部自治会・院生自治会などとの間で定期的な会合が開かれており、そこで学生側は意見を届けることができた。しかし前述の体制となってからは、多忙を理由に会合開催の要望に応じないという態度を採ることで、学内の意思決定に関して学生側の声が反映されないという状態となってしまった。繰り返すように、その詳細は上記URLを参照していただくとして、ここでは省略するが、2015年から2020年までで一橋で過ごしたものは年々縮小していく支援制度や一方的な通達に苦しむこととなった。

しかし2019年10月、当時学長であった蓼沼氏が突然、任期満了以前の2020年8月に辞任すると発表した。これにより、新学長は2020年9月から任期を開始し、学長決定が3月末となることが判明した。新学長候補には上述の沼上氏も含まれていた。学生側としてはここで沼上氏が学長に就任することを阻止しなければならないと考え、学生参考投票を実施し、沼上氏が学長として就任するのにふさわしくないという結果を提示し、学内世論の喚起を促した。その後教職員の意向投票や学長選考会議を経て、新学長となるのは、比較的学内の声を聞いてくれるであろうという期待がもたれた中野氏となった。この結果はここ数年の体制に対するNOの声を反映するかのようであった。

しかし、こうして前体制が終焉し、新体制となったことを喜んでばかりではいられない。なぜなら新体制となってからもまだ学生との大学執行部との会合は開かれていないし、この一年のコロナをめぐる対応についても学生側の意見に応えているとは必ずしも言えないからである。さらに、2020年10月におきた中曽根の葬儀に際し、文科省は弔意を示すよう国立大に通達を出したが、残念なことに一橋はそれを受けて半旗を掲げてしまった。有志学生が抗議集会を開いたが、こうした決定を事前通告もなく行っていたことにも現執行部に対し懐疑の目を向けざるを得ない。 By仲路由子

~おわりに~

 一橋大学中和寮は大学院生の自治寮である。人文系の大学院生が100人ほど住み、そのうちおよそ半数が博士課程(アラサーですが何か?)である学生寮は全国的に見ても稀だろう。大学院生はそれなりに長い間大学にいるから近年の大学の変化を肌で感じてきた。正直、私が大学に入学した2011年はもっと一橋にも自由があったように覚えている。副学長選挙の時は大々的に学生の投票所があったし、2012年に一橋祭が禁酒と決定されたときは学生側の反対署名運動が盛り上がった。当時の寮自治会の資料など見ても、当局との交渉がまだそれなりに維持されており、もはや隔世の感を抱く。いつから大学に物申してもどうせ受けあってくれないという諦念を抱くようになってしまったのだろう。もちろん否をつきつけるべきときは迷わず反対の声を上げ続けていくことだろう。だが、どうせこの声は届かない――そんな諦めに似た気持ちを抱きながら行動を起こしていくのも、それなりに辛い。当局の言い分には唯々諾々と従わねばならない――そんな服従の命題が私たちの内面を蝕んでいないか。本稿で述べられているような近年の一橋の様々な運動のほとんどが大学院生によって担われていることにも私は危惧を持つ。これから入学する学部生には一人でも多く内面を蝕まれてほしくないと祈るばかりだ。そしてそれは他でもなく私たち自身にも向けられている抵抗の言葉でもある。 By中和寅次郎@中和月報もよろしくね(https://5f0530d0109f6.site123.me/