話し合いの原則
文責:silly
一つ前の記事で説明されているように、吉田寮は、そこに関わる人々の「自治」によって維持されてきた場です。そして、その「自治」を支える手段として重要とされてきたものの一つが、「話し合いの原則」です。
吉田寮は、多様な人々が関わる場です。現在入寮可能なのは「京都大学に在籍するすべての学生」(学部学生・院生・研究生・聴講生・科目等履修生・特別研究学生など)であり、年齢・性別・収入・国籍・思想等の要件を設けておらず、異なるバックグラウンドを持つ人々が生活をともにしています。また、寮に関わる人は、居住者だけではありません。寮生の友人、近隣にお住まいの方々、大学関係者、インフラ整備の業者さん、食堂でイベントを開催する団体、そのイベントを見に来る人、厨房で楽器の練習をするグループ、吉田寮支援の活動をする有志、ふらっと遊びに来た人……挙げればキリがないですが、とにかくそういう「開かれた場」として吉田寮は存在してきました。
では、こうした様々な人が交差しながら生活する場―大小問わずさまざまな衝突が日常的に起こり得る場―で、どのようにすれば、「自治」のもとで快適に日常生活を送ることができるでしょうか。「話し合いの原則」は、この問いかけに対する答えの一つとして、吉田寮で掲げられてきたものです。
吉田寮には、何か問題が起きた場合に、地位を濫用して強行的に解決する方法、また問題を完全に第三者に委ねて解決する方法を、基本的には採用しないという方針があります。できるかぎり、当事者間で問題を話し合い、問題解決に辿り着くことを目標とする、これが「話し合いの原則」です。
当事者間解決を目指す理由は、この方法以外で問題を解決しようとすると、問題解決にあたって最も肝要であるはずの、当事者の意見や考えが蔑ろにされる可能性が高いからです。たとえば、画一的なルールを制定し、第三者に決断をゆだねるという方法では、その状況に応じた柔軟な対処をすることは難しく、融通の利かない「ルール」にだけ基づいた全く見当違いの「解決策」が提示されてしまうかもしれません。こうした事態を防ぎ、よりよい問題の解決を図るために、「話し合いの原則」があります。
なお、「当事者間解決」という言葉は、当事者がその問題について他の人に相談をしてはいけない、ということは意味しません。当事者間だけでの解決が難しいと考えられる場合には、まずは寮の内外の知人や有志団体などに相談しましょう。
では、この「話し合いの原則」を達成するためには、何が必要でしょうか。たとえば、「トラブルが起きたら、話し合って解決しましょう」と呼びかけるだけでは、「話し合いの原則」は到底達成不可能です。
当事者間で話し合うにあたって前提となるのは、両者の間に「対等な関係」が築かれていることです。対等な関係がなければ、当事者間で話し合ったところで、上の立場の人間に有利な結論が出てくると考えられるからです。しかし、話し合いに必要となる対等な関係というものは、さまざまな要因によって、常に阻害された状態にあります。たとえば、外見から女性と判断された人は意見を舐めて受け取られやすい、年齢が若い人は年長者の意見に反論しにくいと感じる、日本語が第一言語でない人は寮内の議論に参加するハードルが高くなる、といった状況が考えられます。他にも、寮に入ったばかりの人と長く住んでいる人/寮籍がある人とない人/声が大きい人と小さい人/人に要求にすることに慣れている人とそうでない人など、対等な話し合いを阻害する人と人の間の障壁は、それこそ無数にあるのです。
もしかしたら、上の文面を読んで、「自分にはそんな差別意識はないから大丈夫だ」と考える人がいるかもしれません。しかし、そういう人こそ、無自覚のうちに他人に対してひどく暴力的な振る舞いをしてしまうし、しかし、そういう振る舞いをしていることに自分では気が付きません。あなたが意識していようがいまいが、現に障壁があるのであって、それに自覚的になることが対等な関係の構築に向けた第一歩です。「話し合いの原則」を実現するためには、まず自分の内面に目を向ける必要があると言えるでしょう。
人と人の間に聳え立つ壁は無数にある上に、そのうちの一つを「解消」することさえ、我々は満足に行えません。現実に、我々は、全くもって対等な存在ではない。そのことを承知のうえで、対等な関係に漸近するため、常に内省を続ける。それが「話し合いの原則」そして「自治」の第一歩なのではないでしょうか。
次の記事で紹介する「敬語不使用の文化」は、対等な関係での話し合いを行う上での障壁を少しでも取り除こうとする試みの一つです。しかし、これもあくまで、対等な関係を築くための試みの一つに過ぎません。敬語不使用の文化が、話し合いの原則を成り立たせるための魔法の道具というわけではないことは、以上の文章を読めば自ずと明らかになったと思います。
ですから、「話し合いの原則」と聞いて、「なるほど。トラブルが起きたら、ざっくばらんに話し合って解決すればいいんだね」と、ただの平和でハッピーな理念を思い浮かべるようでは、真の意味で話し合って解決することは到底不可能でしょう。そういうハッピーな世界で生きてきたあなたは、これまでの人生で様々なものを無自覚に足蹴にしてきたのではないだろうか、と自分に問いかけてみてください。
「話し合いの原則」とは、ただトラブルが起きたときに発動するもので、普段は生活と関係ない原則、ではありません。当事者同士が安心して話し合えるような環境を作れるように、寮に関わる全ての人々が日常生活の中で不断に意識し、培っていかなければならないものなのです。