吉田寮という「場所」を守る戦い―京大「部外者」からの視点

吉田寮という「場所」を守る戦い―京大「部外者」からの視点

 

 

吉田寮という「場所」を守る戦い―京大「部外者」からの視点

文責:吉田寮とつながる会・東京 支援者 たこ

1.あいさつ

 吉田寮とつながる会・東京に所属する、支援者のたこです。私は、3年前に、あるテレビ番組をきっかけに吉田寮のことを知り、つながる会を通じて寮に関わるようになりました。現在、私は、都内のいくつかの大学で非常勤講師をしながら生活をしています。京都大学で学んだことも、京都で暮らしたこともありません。京都大学あるいは京都の文化から見たときの部外者だと思います。

 しかし、京都大学と吉田寮との間に起きていている問題を知った時、この問題は、私が大学での研究活動を通じて経験した、場所を失うという体験と、深いところでつながっていると感じました。それが、寮に興味を持つきっかけになりました。

 そして、つながる会を通じ、寮生さんと話したり裁判の経過をみるにつれ、吉田寮の戦いは、日本社会の抱える構造的な病との戦いなのではないかと考えるようになりました。今日は、私が大学空間で場所を失った経験と、そこから考えたことについて、お話しさせていただきたいと思います。

  1. 研究室を失った経験ー大学空間における「場所」の喪失

 私は、人文社会系分野の研究に従事しており、出身大学で学生・助手をしました。任期付き助手の間、私は、指導教官の早期退職に伴う研究室の閉鎖を経験しました。その研究室は代替わりしながら続く、歴史ある場所でした。退職理由について、指導教官は多くを語りませんでした。けれど、私が想像するに理由の一つは、学科の改革に伴う新しい教育では、もはや私たちの分野の研究者は育たないことにあったのだと思います。

 新カリキュラムは、最近の「世間的」なニーズが意識されたものでした。学生の選択の自由を確保するため、必修専門科目の多くが選択科目に変更、あるいは廃止されました。代わりに、プレゼン、ライティング、英会話などの発信型の授業が必修として設置されました。授業は英語になり、語学試験が進級要件に組み込まれました。語学力、発信力に時間が割かれる一方、論理の訓練を要する専門科目や、教養科目の時間は、相対的に削られてしまいました。このようなカリキュラム改革は、他大学でもすでに取り入れられている、一般的なものです。表現力を重視する教育は、学生の就職活動には有利に働くでしょう。学科の判断は、ある意味では正しいものです。けれども、このカリキュラムでは、私達の分野を選び、将来、研究者になるような基礎学力と思考力をもつ学生が育つ様には見えませんでした。

 新カリキュラムに強く反対していた指導教官は、退職を決めました。同分野の後任枠はなく、研究室の閉鎖も決まりました。言葉に表しがたい喪失感、無力さを感じました。研究室の廃止に対し、私は何も言わず、助手としてすべき業務を続けました。学科の方針を決める会議にも、議事録や資料補助のため同席していましたが、何も言いませんでした。決定するのは、専任教官であり、大学であり、世間のニーズです。当時、任期付き助手として働いていた私ではありません。あの時の「社会人」としての立場からみれば、正しい行動だったと思います。けれども、もしあの時、議事録を取らさせられていた会議中に一回でいいから、自分の思いが言えていれば、私はここには出ていなかったと思います。後悔しています。私は、自分の自尊心を自ら大きく傷つけてしまったと感じました。

 私にとって、研究室は大学空間における拠点だったのだと思います。研究自体は、楽しいばかりではありませんでした。指導が厳しく、週に一度のゼミでは、他大学で教鞭をとる者も含め、新旧のゼミ生にコテンパンされたりもしました。厳しさや経済的な理由からやめていく人もいる所でした。効率的に業績を残せたり、学生から人気があるかと言われれば、そうではありませんでした。

 しかし、私にとっては、研究に真摯に向き合える場所として、貴重な拠点でした。少なくとも研究においては、門下同士で互いを理解し信頼を結べる関係にあったとおもいます。あそこは、戻る場所であり、自立した研究者となるための力を養う場所だったと思います

 私は、自分の助手としての立場を考え、「大人らしく」振る舞うことに一生懸命になっているうちに自分にとっての大切なものを蔑ろにしてしまいました。そして、なにもしないうちに、精神的な拠点を失いました。

  1. 漂流する「研究者」たち―大学空間における教員の孤立化

 大学における拠点を失い、研究室の外に出てみて、気づいた事があります。それは、アカデミアには、拠点となる場所やコミュニティを持たず、漂流している研究者がたくさんいることです。いわゆる「選択と集中」のために、一部の選ばれた分野を除いて、人やお金が確保しづらくなりました。後任者の人事枠がなく、研究室がなくなるのは珍しいことではありません。ひとりの担当する授業、科研費といった書類が増え、人と交流し集う時間が取りづらくなりました。集い、学び、議論する場が失われつつあります。専任も、非常勤も、関係ありません。皆それぞれに孤立し奮闘しています。

 かつて、大学空間には様々な場所がありました。今、それらは急速に失われています。

4.「場所」を守ることの大切さ―場所に宿るもの

 研究室を失って、場所は、心の豊かさ、精神の活力にとって、不可欠なものを保存しているのだと初めて知りました。場所を失うという事は、単に、集って楽しくやる場を失うのではありません。場所に付随する記憶、場所に支えられていた人脈、人の心にとって大切なものを失います。形を伴わないもの、時間をかけて築かれてきたものほど、簡単に失われます。

 そして、失われたものは、もう戻ってきません。

 吉田寮に残る記憶は濃密で深いものでしょう。古い家屋は、生活の記憶と実感を宿します。吉田寮は自治を維持した歴史、自分の場所を作ってきた、誇りの集積なのだと思います。知性、理性、言葉に表せるものは、大切なものの、ほんの一部だと思います。100年以上の歴史を有し、数百人の学生が自治をたもつ生活空間の価値の深さを、簡単にはかる事は不可能です。

 人は自らの能力を過信し、自分の見えているものだけを全てと思いたがります。大切なものの価値を理解せず、簡単に破壊したり、手放したりします。そのような愚かさから、大切なものを守らなければなりません。

 

5.私たちの心のために、魂の回復のために、この社会の未来のためにすべきこと

 私が吉田寮に関わるのは、人の心が守りたいからです。吉田寮を守る行動をする人々、関わる人々に敬意と連帯を示します。何故なら、この場所を守る事は、この社会の至る所で見られる、人のつながりを断ち切り、肯定感を奪い、経済の養分となるだけの人間を量産する、巨大な構造的暴力に対する抵抗であるとわかるからです。

 私は、日本社会に生きる多くの人の心には、欠乏と虚無があると思います。存在を認めてくれる場所、自分が自分のままで付き合える関係、お金が沢山なくてもいいという事、幸福に不可欠なものの欠乏です。

私たちの社会は、行き詰まっているように見えます。個々人の主観的な価値が蔑ろにされ、人と人が分断され、結果、人々が大切なものを簡単に手放してしまうという現象が至る所、さまざまなレベルで起きています。

 吉田寮を裾野に抱えている京都大学も、日本社会を覆う虚無に取り込まれつつあるように見えます。気に入らない存在を排除し、学生を監視し、研究者を管理し、圧力でものを言えなくして、活力を奪い、自壊の道を歩んでいるように見えます。

 吉田寮という「場所」を守る戦いは、この社会の病との戦いのように見えます。この閉塞した社会で、私たちはいかにして生きればよいのでしょうか? 幸福ある未来を作るために私たちには何ができるのでしょうか? 私は、その1つに場所を守る事があると思います。

 京都大学のそれなりに長い歴史の中で、私たちは、たまたまこの困難な時期にぶつかってしまいました。それぞれに、幸福のために本質を見定め、大切なものを守らなくてはならないのだと思います。そのためには場所を守らなくてはなりません。

 私にとってこの場所を守る運動を支援することは、これからの未来をどのように生きたいかという意思表示でもあります。困難な場面に、お付き合いをしていきたいと思います。支援者の皆様、寮生さん、道のりは長いですが、今後ともどうぞ宜しくお願いします。

※本文章は、211213吉田寮現棟・寮食堂明渡請求訴訟第十回口頭弁論報告集会でのスピーチを転載したものです。