少女革命ウテナ全話レビュー

少女革命ウテナ全話レビュー

 

 

少女革命ウテナ全話だいたい全話レビュー

文責・公共の敵

全話は間に合わなかった。ごめん姫宮、全話レビューごっこになっちゃって……今度完全版をどこかに書くので御影草時の話を全くしないまま脱稿しても良いですか?

1話「薔薇の花嫁」

 「女子が男子の制服を着てはいけないっていう校則はないな、問題ないです」みたいなこと、高校生時代に言いたかった……誰かの為に怒るところとか、「いい男はこういう時見ない!」みたいなセリフで切り抜けるところとか、自分の特別さに鈍感なところとか、39話に至るまでのウテナの像は1話から完成されている。

2話「誰が為に薔薇は微笑む

「私の部屋は南館の3階だから遊びにきて」という若葉のセリフと対照的にこの後だんだんウテナと疎遠になっていくのが寂しい。20話「若葉繁れる」では部屋に人を匿ったりしているし、もうウテナが来ないことを分かってしまっている。この間どうしてたのかな、とか考えるともっと若葉のことが好きになれるはずです。若葉を好きになりましょう。

3話「舞踏会の夜に」

七実の初登場回。この回から冬芽も本格的にウテナに関わってくる。ここまでは西園寺との対比で真っ当に見えるがこの回からはプレイボーイで打算的という性格が表立ってくる。

4話「光さす庭・プレリュード」

アンシーが好き放題変なことをする回。パラパラマンガ描いて心の底から笑うアンシーを見ると少し安心するのでこの回は好きです。冒頭がここまで余り活躍して居ない幹とウテナの決闘シーンで、そこから遡って話が進む。「全くだ」の樹里さんがかっこいい。

5話「光さす庭・フィナーレ」

ミッキーは総じて目の前の人間を見ることができない人物として描かれている。梢しかり、アンシーしかり。この回ではアンシーがピアノを弾きたがっていると思ってウテナに決闘を挑んでしまう。インターネットのオタクたちはことあるごとに姫宮怖いって言ってるけど、平気で暴力ふるってくる西園寺とかアンシーが求めてもないことを勝手に思い込んで決闘挑んじゃう幹とかの方がどう考えても怖いし、アンシーの怖さとして描写されているものを直に受けとるのは読みとして誤りだと思う。

 余談だが決闘申し込みのシーン、周りの生徒たちからは幹がウテナに告白するようにしか見えないと思う。

6話「七実様御用心!」

七実回だ!石蕗の初登場回。七実様のお兄様になりたいという問題系は、ウテナの王子様になるという問題系と似通いはしている。その達成が危険で不当な手段(自作自演の事故と決闘ゲーム)になってしまっているというところまで似ている。「聞く耳もたーーーん!」「暴れカンガルーだ!暴れカンガルーが出たぞ!」「桐生冬芽、やはり只者じゃない」

7話「見果てぬ樹里」

樹里回。物語上のギミックとしてセクシュアリティを用いることの問題性というのは常に注意喚起されるべきだと思う。ひとまずは中身の話をしたい。ミョウバン(生活指導の教師)に怒られるウテナと教頭に褒められる樹里という対比から始まる。「私は同じことを二度言いません」こういうドスの利かせ方で生存してきたことが伺える。この回でウテナとのファーストコンタクトだが、「奇跡」に固執する樹里に「奇跡とはこのことだ」と易々と口にするウテナに樹里は絶妙に怒りを募らせていく。樹里の恋は奇跡を使わねばどうにもならない「叶わぬ恋」として表現されている。古今に何度も同性愛は「悲劇的な叶わぬ恋愛」という装置として表現された。それをなぞることがその不利益を強いる構造の再生産であることは紛れもなく事実であると思う。それだけではないという話を私はしたい。樹里の恋が叶うには、樹里は枝織の「王子様」にならなくてはならない。これが登場人物の全てが暗に陽にほのめかす決まりである。それは樹里によれば「奇跡」なのである。無邪気に「王子様」との再会を信じ、「王子様」にならんとするウテナとは目の前にある「女の子はお姫様になれない」という冬芽や暁生、そしてディオスまでもが信じるルールに阻まれる境遇を共有しながら大きな溝がある。樹里から見ればウテナはそのままでも「王子様」と結ばれることができるし、そのことの特権性にも無自覚だ。だから樹里はウテナに激しく怒り、王子様ごっこの猿芝居と断じる。その帰結として、奇跡を否定してウテナの心を折り、奇跡の力があるのならば自分が手にするためにウテナに決闘を挑むのだ。樹里はウテナの「王子様」になりたい動機をあまり理解していないし(この時はウテナ自身もそれをあまり詳細に覚えていない)自分自身の執着を捨てるということに失敗し続けている。樹里も樹里なりに世界の殻の中で生きていて、それが後半の展開の布石であるということがこの回の要だと思う。

 序盤の窓越しの会話や決闘の決着シーンなど、この回は巧みな構図が多い。絵コンテは橋下カツヨ。この回の決闘曲、「天地創造すなわち光」が一番私の好きな決闘曲です。

 8話「華麗なるハイトリップ」

樹里回の前後は七実回という法則がある。世に名だかきカレー回である。私は一人で初めて見たときも結構笑いながら見た記憶がある。カンガルーのときもそうだけども「辛さ爆発木っ端微塵幻の象がパオーン超辛9000億倍カレー」って語彙がこの内容のアニメに出てくるのは暴力的な催笑効果があると思うよ。ウテナ初見の人にこの回を見せたら「それ火薬だろ」と冷静なツッコミを入れられた。ちなみに当時の入れ替わり表現は最近の流行りと異なり、声も一緒に入れ替わるのがメジャーだ。オチは好きではない。アンシー料理下手いじりみたいなのは「光さす庭・プレリュード」でもややあったが、酷いと思うし、全体の文脈からの乖離も大きいと思うよ。

9話「永遠があるという城」

冬芽に負けたくないから薔薇の花嫁を手に入れると語る西園寺。あまりにも典型的なホモソーシャル仕草。影絵芝居では「白馬の王子様も、心優しい友達も、みんなファンタジーの中にしか存在しないのよね」というウテナを一言で言い表したようなセリフが出てくる。冬芽のセリフ「本当に友達がいると思ってるやつは、馬鹿ですよ」は後々の回では西園寺が口にする。この9話から紆余曲折あって西園寺と決闘抜きでしっかり友達になれるところまで行くのが冬芽というキャラクターの面白さだと思います。冬芽がフェミニストと名乗るシーンがあるがどう考えても語義を理解していない。マチズモの人が「女性に優しいフェミニスト」を名乗るというのも現実によくある話だし、セリフを書いた者の無理解ではなく冬芽のキャラクターとして理解するのが素直な読みだと思う。

10話「七実の大切なもの」

七実の決闘回。「七実くんもデュエリストなのか?」七実はオープニングでしっかり戦っているので初見でもそのうち出てくるのだろうな、ということはなんとなく察しがつく。私の知り合いで「本編のネタバレになるからオープニングと予告を見ない」という者がいた。「でも先が読めることは必ずしも作品の価値を毀損するわけではないし作者サイドが見せてくる物くらいは別に良くない?というか存在するテクストを読み飛ばしてアニメを見ることの方が私は嫌」というのが私の意見。ちなみにウテナは予告が完全に内容の一部という事例が多すぎるので特に全部見た方がいいと思うよ。七実のプレゼントの子猫を「一番嬉しかった」と言いつつ、「いつの間にかいなくなってしまった」くらいの認識の冬芽がちょっと怖い。後のことを考えたら七実のことは最初からどうでもいいのかもしれない。猫の末路といい、七実関連の話はコメディリリーフで落ち着いた後にゾッとさせられる。

11話「優雅に冷酷・その花を摘む者」

「薔薇の花嫁扱いされるのが嫌です」と姫宮に言わせ、「僕なら姫宮を普通の女の子に戻すことができるんだ。ほかの奴に渡すわけにはいかない」と言うウテナ。白馬の王子様が実はロクでもない、という筋書きはウテナ自身にも当てはまる。王子様になればなるほど、世界の果てに近づいていく。影絵少女は考える暇もなく永遠にリンゴを射続けるウィリアム・テル。結局ディオスと同じことの繰り返し、という隠喩か。

12話「たぶん友情の為に」

ひっぱたき合うウテナと若葉。久々に若葉の出番だ。冬芽に水をぶっかける決断を若葉がするのもいいね。「何も分かってないのに!」「分かってるわよ!」がダブルミーニングに見えて目を引く。若葉はウテナと違って自分が何も分かってないことはちゃんと知っている。その何も知らないはずの若葉がウテナに「取り返せ」と言う。「個人をないがしろにするシステム」に取り込まれ、決闘で姫宮を取り返すウテナ。

13話「描かれる軌跡」

暁生が封印されたディオスに語りかける。この人がたまに出てきた「世界の果て」なのかな?と思わせる。

14話「黒薔薇の少年たち」

暁生の全貌がついに初登場する。昇降懺悔室とかいうモチーフはかなり不気味で好き。鳳香苗は誰の心の剣を使っているのか説明されていない。暁生?何も言わずに笑うアンシーはこういう不幸を招くよね。「あの子が来てから理事長の体調が悪くなった」とはつまり暁生が来てから悪くなったということでもあるよね。

15話「その梢が指す風景」

世界の殻バンクシーンが変化。世界の籠を破壊せよ!梢は結構好きなキャラクターです。

16話「幸せのカウベル」

前門のカレー、後門のカウベル。コウシチャンディオールってなんだよ。ワードセンスでは「辛さ爆発(ry)」に軍配が上がるが展開の異常さはカウベルに軍配が上がると思う。

17話「死の棘」

物語上のギミックとしてセクシュアリティを用いることの問題性という話を上でした。この回の脚本は月村了衛。ここから酷い同性愛差別表現を引用するので気をつけて欲しいが、去年の乱歩賞作品、『老虎残夢』の選評上で月村は「主人公カップルが同性であることに必然性を全く見出せませんでした」と記し、炎上の様相を呈していた。この種の発言に対してすでに何度も反論されているように、異性愛者やシスジェンダーのようなマジョリティが特に物語的必然性を問われずに登場している一方で、性的少数者が物語に登場することに必然性を求められる状況は極めて差別的というほかない。この時、ギミックとして他者のセクシュアリティを用いて生産されたものをどうやって受け取るべきなのだろうか。こういうギミックが差別的構造と明らかに地続きである一方で、ある種そこを打破する契機にもなりうるのは事実である。好きなフィクションの作者が、自分にとっての作品の価値を毀損するようなことをしているとき、一読者として作者から乖離したテクストを愛好するという開き直りはある程度までは可能だし不可欠だと思う。「作者の死」後を存分に生きよう。

 「死の棘」の中身の話をします。樹里の想い人、枝織がかなり苛烈な人であることが明らかになる。惚れられた方が勝者で支配する側、惚れた方は敗者で支配される側という話は「王子様」「お姫様」という本作を通底する幻想の言い換えのよう。

19話「今は亡き王国の歌」

玉ねぎ王子の恋慕の相手はデュエリストじゃないのでデュエリストにならない。樹里「想い続ける相手というのを簡単に変えることができたら、君達ももっと楽になれるのにな」「私もか」そのための39話なんですよね。

20話「若葉繁れる」

前話「今は亡き王国の歌」から引き続きで若葉メインの回である。「今は亡き王国の歌」がややコミカルだったのに対して、「若葉繁れる」は重苦しい。サブキャラたちの心情を濃密に描写することで定評のある黒薔薇編の中でも18話「死の棘」(樹里回)と並ぶ傑作である。どちらも才能やカリスマ性に富んだ人を、それを持たない人がその鈍感さを憎む回で、叶わぬ恋の話である。

 ハイライトはやはり決闘シーン。黒薔薇編ではデュエリストたちは決闘後には記憶を失っているが、決闘中に語ったことはそのまま本心として描写されている。若葉が心中をむきだしにした時、アンシーだけでなくウテナや生徒会の面々にも敵意が向けられるのが印象的だ。「お前には分からない!分かる資格もない!」「お前もその女も生徒会の連中も、私を見下しているんだ!」という言葉がグサグサ刺さる。「僕が助けてあげるからね」などとのたまうウテナとの溝は深い。相手が酷いことをしても、敵意を向けられても、どうしようもなく分かり合えなくても友達を諦めない、でもちょっと上から目線で無邪気で乱暴、というのは全体を通してウテナの人物像として描かれている。ウテナに薔薇を散らされた後、ゆっくり湧き出すように流れる涙が、堰を切ったように流れる涙とも、ウテナに哀れみをかけられることへの涙とも解釈でき、味わい深い。この涙のシーンの作画は息をのむほど美しい。ちなみに絵コンテは橋本カツヨ。この回では若葉役今井由香の名演も見所だ。上記のセリフに加え、絞り出すような「この黑薔薇に掛けて誓う」以下の口上や、エンディング入りの寂しげな「ただいま」も素晴らしい。前回とこの回の冒頭も「ただいま」に西園寺がおかえりを返すという内容で、対比が効いている。

25話「二人の永遠黙示録」

「困ったことがあったら(中略)なんでも助け合おうよ、僕は君とそういう友達になりたいんだ」はこの回の予告が初出。

29話「空より淡き瑠璃色の」

樹里……瑠果はアドゥレセンス黙示録の冬芽のポジションに似てる。大きなお世話だし、めちゃくちゃひどい奴なんだけど彼らなりの思いやりのようなものがあって、試練として立ちはだかり、死によって物語から退場する。好意を知りながら「思いが届きますように」という樹里が良い。

33話「夜を走る王子」

ウテナの話をするときに33話「夜を走る王子」の話は避けて通れない。暁生がウテナの「気高い心」を失わせんと企み、アンシーはウテナに「あなた、一体誰なんですか?」と問う。それでも「王子様」でいられるのかと問いかける。この直後のエピソード34話「薔薇の刻印」は薔薇物語の回。ディオスと魔女の物語が語られ、「よく思い出せない」と言っていた、ウテナが王子様になると決意した理由が明らかになる回である。

「本物の星は見ていたくなかったので」嫉妬を結構露骨に表現している。鳳暁生編の総集編に当たる回であるが、ウテナの総集編は毎話、重要な情報が出たり展開があったりするが、「夜を走る王子」は特に顕著だ。物語は電話に出るアンシーのシーンから始まり、ウテナが旅館で何者かに話しかけるシーン、暁生が車で電話をするシーン、過去回の要約シーンが交互に続く。最後にウテナの会話の相手が暁生、暁生の車の助手席がウテナ、アンシーの電話の相手が暁生であることが明かされ、冒頭の電話シーンに繋がるという複雑かつ巧みな構成になっている。この回、前回の予告が、完全にこの回のワンシーンとして機能している。長谷川眞也が原画に参加しており、氏の仕事を知る者ならばピンとくるほど目立つので作画オタク志望のみんなは探してみよう。

34話「薔薇の刻印」

前述通り薔薇物語の回。冒頭部分では暁生が星の話をしている。「新しい彗星を見つけたけど誰にも教えない」という内容。前話でのアンシーのプラネタリウムの話に対応している。暁生はよく女の子を星に例えている。三人で撮った写真は、最終話の最後のシーンに出てくる。アンシーが暁生を声で牽制し、ウテナの横に入って手をつないでいた。結末では手を繋ぐことが重要なモチーフだった。影絵少女が現実に姿をあらわし、作中世界に実在している人物だったのかと思いきや、若葉が演劇部なんかあったっけ?と言ったり客がウテナら以外居なかったり、現実感が薄い存在として描写されている。

 薔薇物語中のセリフでは「お姫様になれない女の子は魔女になるしかないんだよ」が印象的。お姫様であることをやめてもこの世界を生き抜くものが魔女として断罪される。毎話冒頭の影絵少女の回想がようやく完全な形で本編に出てくる。こういうシンプルでもアガる展開もウテナの魅力だと思います。「君は女の子だ、いずれは女性になってしまう」「なる!私はきっと王子様になる!」というセリフ、途中で「女性になる」というディオスの言葉に対して「なる」と言っているように見えるのだけどそれを全く否定しないし、ディオスと違って「女性になる」という言葉を全くネガティブに捉えていない。ここで泣く。

 回想の後、ウテナとアンシーの会話が挟まる。「あなた、誰?」この回と前の回の予告では「あなた、誰?」の意味が全く変わってくる。前の回の時点では「あなたは王子様になれない」だけども今回を終えると「あなたはもしかして」という含意に傾いてくる。ここで泣く。33話もそうだったけど、予告を本編の一部として組み込むのが本当にすごい。

35話「冬の頃芽生えた愛」

冬芽回。堂々のタイトルである。プレゼントをしてウテナが喜ぶか賭けるなんて最悪すぎる。冬芽はクズかクズじゃないかで言えばクズだし、セクシストだしミソジニストだけど、冬芽自身が自分で作った「プレイボーイ」という世界の殻の、あくまでも範囲内では少しずつマシになっていくところがキャラクターとしての面白みだと思うよ。プレゼントの賭けの結果如何に関わらず冬芽の負けということにしようとする暁生。冬芽も西園寺も、何をしても暁生の作った殻の中にいて、そのことをもう二人とも自覚している。それでも、それゆえに、暁生の力が欲しいというのが冬芽の弱さである。

36話「そして夜の扉が開く」

冬芽はついにプレイボーイの仮面を脱いでウテナに思いを告げる。最初の方は力を誇示してウテナを手に入れるという側面が際立っていたけれど、この時はウテナが世界を革命する者として、世界の果てこと暁生に敗れてしまうということを危惧して決闘を申し込む。大きなお世話なのだけども。次回予告は「ご存知ですか?ウテナさま」

37話「世界を革命する者」

暁生の「実は星なんか全然興味ないんだ」が怖い。前述通り、暁生はしょっちゅう女の子を星に例えている。ウテナの声に重ねて「ごめんなさい、これはあなたので私のじゃなかったわね」アンシーのウテナへの嫉妬の表現がどんどん露骨になる。バドミントンシーン、所詮王子様ごっこなんですよね?と樹里に言って見せ、樹里は遠回しにその傲慢を認める。幹は乗り換えちゃいけませんかと「想い続ける相手というのを簡単に変えることができたら、君達ももっと楽になれるのにな」への答えが出てる。「どうして自分の気持ちは自由にならないんだろう」という樹里も「写真をくれ」という軽口(?)を叩く。私は軽口だと思います。そういうことを言えないのが執着に囚われた者だし、気持ちが自由になったわけではないと思うので。「カンタレラってご存知ですか」毒を盛り合ったと言ってみせ、それでも美味しいと答え、10年後に笑いあってお茶を飲もうという、少女革命ウテナ最高のシーンの一つ。何度も繰り返される短いカットと、不自然に止まっては繰り返すBGMが全体の中でもひときわ異彩を放っている。ちなみにチェーザレ・ボルジアは妹を嫁がせて指輪に仕込んだ毒で夫を毒殺させ勢力を拡大したと言われている。次のシーンが身投げ未遂シーン。アンシーがついに胸中をぶちまけ始める。「友達が本当にいると思ってるやつはバカだよ」「僕はバカなんだよ」冬芽と西園寺もバカな自分を受け入れられてよかったなあ。

38話「世界の果て」

前期EDで出て来た花嫁衣装のウテナ。暁生とウテナが永遠を手に入れたらアンシーは永遠に魔女のまま、「そんなことできるわけないじゃないか!」堰を切ったように全てを告げるアンシーに、どうしようもなく無理解で残酷なウテナが、その残酷さと無理解を認める。ここまでの37話からのこれに涙せずにはいられない。フィアンセがいる俺を、拒まなかった」あまりにも非対称な関係を無視して33話でのことを引き合いにウテナを責める暁生。影絵芝居の予告「奇跡が起こって本当の王子様になる」「どうせアニメでしょ」と裏腹に「本当の王子様」になるとかいう奇跡は起こらない。

39話「いつか一緒に輝いて」

暁生の理屈をはねのけるウテナの汗が落ち、はねた雫がバンクシーンでウテナの手に当たる雫として描写されている。このアニメの時間的な前後が飛躍する描写が結構好き。扉の中のアンシーの手を掴むが、無情にもアンシーは落ちていく。消えたウテナが何事も成せなかったという暁生をよそに学園をさるアンシー。「全てアンシーの意思」と断じる以上、アンシーがすることを何も止められないのだ。暁生には本当はその程度の力しかない。姫宮がウテナ呼びするのが素敵。姫宮はウテナのものではなく、一人の人間である以上、これ以外の終わり方がありえないと思う。Cパートで「いつか……」「いつか……?」からのサブタイがでる。この技はピンドラでも多用されている。