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自治空間、といっても読者には馴染みがないかもしれない。自治といって想起されうるのは地方自治体程度であろうか。ましてや学生による自治など聞き覚えがないに違いないはずだから、実際に吉田寮で自治と呼ばれていることをここに挙げてみよう。例えば、寮内の破損箇所に対する修繕要求を引き受け、具体的な補修方針を立てたり、寮生各個人の事情を鑑みながら、適切な部屋割りを考案したりしている。掃除さえも、生活空間保全のために不可欠であるため、自治と呼ぶ人がいる。すなわち、寮の運営、維持に関する一般諸務と広く捉えられる事象を我々は自治と呼んでいるのだ。寮生の自治活動は寮の存続に必要不可欠であり、寮生は誰でも入寮すれば可能な限りそういった活動に参加していくことになる。
ここで、より一般の自治と上記の活動を接続しよう。辞書的意味において、自治とは、自分たちのことを自分たちで治めることを指す。これは、ある共同体の構成員自身が、運営等に関する意思決定に対する権限を全面的に有するということだ。卑近な例としては、地域の自治会で、周辺の住民が集まり、意見交換を行い、意志一致を行い、地域独自の課題に対処するための取り組みを行うなどであろうか。吉田寮においても同様で、寮生全員が責任のある主体として参加した話し合いの結果として、外部の権力から独立して意思決定を執ることが自治である。
自治の効果は次の点などに認められる:自治空間では、最も密接に関わっている当事者自身が、生じてしまった問題を自ら取り扱い、対処する権限を有するから、トップダウン型の運営では実現しえない、きめ細やかでスピーディーな対応を実現することができる。また、自らが意思決定権をもつことで、構成員それぞれが責任のある主体となる。結果として、多くの当事者が積極的に考え、意見を出し合うことでより良い空間を作っていくことができる。外部から何らかの不利益が押し寄せた際、自治体が集団全体の利益や意見を代表する、外部団体との交渉主体として機能するという点も忘れてはならない。
吉田寮が自治寮であることでも上記と同様の効果が得られる。特にこの効果は福利厚生の拡充に関して有効に作用している。例えば、大学当局の寮費値上げに対抗して現在の寮費が維持されているのは、寮生ひいては学生の代表として吉田寮自治会が学生に対する福利厚生の重要性を訴え、交渉を重ねてきたからである。また、自治寮の大きな権限の一つである、入寮者を自らが決定する権利(入寮選考権)を有していることで、臨機応変に学生の受け入れが可能となっているのも効果のひとつとして挙げられるだろう。いきなり住むところがなくなってしまった学生や、心身の調子を崩してしまい奨学金を打ち切られてしまった学生、家族との関係が悪化した学生など、この寮を必要としている理由は様々だが、大学当局が入寮を管理した場合、こういった多様なケースへのこまやかな対応は困難である。このように、学生寮が真に福利厚生施設たるためには、自治寮であることが必要不可欠なのである。
また、自治寮の効果として、その創造性についても挙げることができるだろう。個々人が決定権を有する自治寮では、自分たちの関心に基づいて活動を企画することができるため、新たなアイデアを実現しやすい。実際、吉田寮で行うイベントでは、その運営に携わるものは皆、発案から本番、それに撤収まで、全てのプロセスに関わっている。皆が自分の有する創造性を発揮し、空間を自分たちの手で作っていく。結果として、他では見られない多様性溢れる交流の場を作り出すことができている。大学とは、勉学に励む場であると同時に、様々な考えを持つ者たちと対話し、自らを深めていく場でもある。コロナ禍で弱まってしまったこの大学の役割を、この吉田寮では果たしているのである。
以上のように、我々は自治寮の重要性を捉えている。私は去年の春に入寮して1年間、自治に関わってきたが、実際にその効果を実感してやまない。いかに過去の寮生が努力してこの寮を守ってきたかに感動することもあった。寮に関わる人たちで協力して作り上げた祭りが熱気を帯び、大きな達成感を覚えたこともあった。自らが他者と対話して、そして自ら手を動かして業務を遂行していく中で、責任感や対人調整能力を身に着けることができ、自身の成長にも繋がった。もちろん気の置けない友人もたくさんできた。この寮は、たった1年の短い期間の間に、これだけ多くのものを私に与えてくれた。
残念ながら、現在、こんな吉田寮は当局によって立ち退き訴訟を起こされており、自治空間は破壊されようとしている。自治は学生自らが継続的に働きかけることで守られるものである。今ここに暮らす寮生が、自治活動を放棄してしまったら、自治は失われてしまう。自らの権利を守るためには、自らが手を取り合い、戦っていかなければならない。
多角的な観点から自治寮である吉田寮の存続意義は説明されるものの、儲け第一主義的な大学当局は我々に一方的に退去を通告してきている。我々の主張を建前で聞く素振りすら見せずに、権力的に有利な大学側に分のある裁判という形で当問題の解決にあたっている。この苦境を打開するために、今できることを少しずつでもやっていこうと、110年の歴史の佇むここで私は考える。これが私の自治である。