【足立芳宏教授(農学研究科) 寄稿】

足立芳宏(農学研究科・教員)

 京都大学は政府の国際卓越研究大学制度(いわゆる「10兆円ファンド」)[1]の助成対象から外されたことはご存知の通りです。これをうけ、いま京大では次の認定のための新たな改革案の作成に躍起になっています。私が所属する農学研究科でも、本部から政府を納得させるようなよりラディカルな改組プランを提案せよとの指示が飛んでいます。教授会では推進派の担当教員が、日本社会が衰退・縮小している限り運営交付金が減額されることはやむを得ない、自ら競争的資金を確保して財政基盤を確立することこそがわれわれの「学問の自由」を守る唯一の道だとの見解を開陳しました。バスに乗り遅れてはならないというわけです。

 私が京都大学に着任した頃に叫ばれた大学改革のフレーズに「競争的環境の中で輝く個性」というものがありました。なんとも欺瞞的なフレーズだなと感じた記憶があります。現在の日本の大学が抱える問題は、1990年代の大学院重点化に始まる大学改革や、その後の2004年の国立大学法人化[2]に起因するものですが、それは同時に大学により一層の競争原理を導入することでもありました。裏返せば、実は、そうでもしなければ日本の大学人は怠惰で自己保身的であり研究の活性化など期待できないということでしょう。上記のフレーズにはそうしたメーッセージが暗に込められていたように思います。日本政府は基礎研究の重要性や研究の多様性を主張する大学人などは心の底では信頼していないのでないか。政府による日本学術会議の任命拒否問題はまさにその典型的な現れです。

 実は吉田寮をめぐる問題でも同じような空気を感じます。私自身はこれまで吉田寮に暮らした経験はなく、他の教員と比べてもとくに寮問題に深く関わった経験はありません。安全面から寮の建て替えも必要だとも思っています。しかしこの間の経緯をみれば、問題の焦点は、実は建替え後の寮の運営のあり方であり、従来のような寮生による自治は認められないと大学本部が考えていることにあるように思います。それどころか、裁判に訴えてまで寮の学生文化を否定したい。学内の立看問題に対する対処にも見受けられるように、この間、顕著なのは、大学本部が学内で声を上げる人々に対して彼らを信頼せずこれを排除する臨む態度を縷々示していることです。いつからこんな非寛容な大学になってしまったんだろうと時々悲しくもなります。

 京大では1969年に大学紛争がピークに達します。その評価はさまざまですが、紛争の結果、教員間や教員と学生の間の信頼関係がひどく損なわれ、その回復のために長い時間を要しました。他者への信頼がないところに良質な教育も研究も期待できない。そのことをもう一度思い起こして欲しいとつくづく思います。


[1] いくつかの大学を「国際卓越研究大学」として認定し、10兆円規模の大学ファンドの運用益から助成するとしたもの。京大を含めた10大学が応募していたが、最終的に東北大学が認定候補に選定された。文部科学省は「大学が国際的な切磋琢磨を通じて研究力を向上させる」ことを謳っているが、政治主導での「選択と集中」が進むことにより、本来重視すべき基礎研究がおろそかにされ、結果的に研究力の低下を招きうるという問題点がある。(注釈:吉田寮紹介パンフレット作成委員会。以下同様)

[2] それまでいわゆる「国立大学」は国が直接所管していたが、2004年に独立行政法人に所管が移された。以降国から大学への運営費交付金が削減され、研究補助金の獲得競争が激化し、研究に集中できる環境が整えられなくなった。